しちさん21 (hatena)

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【ネタバレあり】『小説 仮面ライダーゴースト 〜未来への記憶〜』感想

講談社キャラクター文庫より刊行されている小説仮面ライダーシリーズの第17作は、『仮面ライダーゴースト』。TVシリーズでメインライターを務められた福田卓郎さん書き下ろしの全3章およびプロローグ・エピローグからなる本編のほか、作品中の出来事を年表化した『仮面ライダーゴースト全史「魂の記憶」』を収録。

【感想】
 第一章・第二章はTVシリーズの前日譚。第一章ではアドニス・イーディス・ダントンらによるガンマ世界の創世から戦争の終結、そして「完璧な世界」の完成までが。第二章では五十嵐博士モノリスの研究を始め、眼魔の地球侵攻に備えて準備を整えるまでの様子が描かれています。

 『仮面ライダーゴースト』という作品は、もともと複雑なSF的設定が存在していながら「TVシリーズ1話30分でそれを描くのは難しい」等の理由からVシネマ『ゴーストRE:BIRTH 仮面ライダースペクター』などでその断片が触れられるにとどまっていました。ですが今回小説という媒体が与えられたことで、この機会を逃すものかとそれらの背景設定や世界観が詳細に描かれていたのが印象的です。また、本編だけではよくわからなかった描写についても極力つじつま合わせを行っていたので、これを読んで本編を見返すとまた違った印象になるのではないでしょうか。

 ですが、この辺については他の方もわりと触れているようですし、主旨がブレるので詳しくは述べません。今回取り上げたいのはVシネマ後の未来を描いた第三章について。ここは一気に時間軸が飛び、Vシネマの後日談が描かれています。それゆえに設定面うんぬんは抜きの独立した物語Vシネマで初登場したキャラクター・クロエがメインで描写されるため、Vシネ前提のエピソードにはなっていますが)となっており、まさにこの小説の「キモ」と言えるでしょう。 

 というわけでそんな第三章について。タケルがクロエに惚れているのはVシネマの描写などからわかっていましたし、TV最終回やファイナルステージに出てくるアユムくんのことも考えると(俗っぽい言い方ですが)まあこの2人がくっつく話になるのはわかっていたのですが……正直こうも複雑な気持ちを抱える話になるとは思っていませんでした。というのも、アカリからタケルへの気持ちを読み切れていなかったんですね。本放送当時のスタッフインタビューを読むとアカリとタケルは恋愛関係というよりも幼馴染としての友情や家族愛に近い関係で描いているという印象を受けましたし、僕自身本編を見ていてもこの2人の関係はそのようなものとしてとらえていました。ですので、クロエが出てきても「まあ、アカリにはイゴールがいるしな」くらいに考えていたのですが、考えてみれば人間の感情ってそこまで簡単なものでもないですよね。小さいころからずっと一緒にいて弟のように思っていた男の子が、自分たちとは全く違う出自の存在である女の子を気にしているとなれば複雑な思いはあるのだろうな、と思いました。このあたりは初見では雰囲気が重たく、けっこう辛い気持ちだったのですがアカリの心の動きの描写自体は丁寧だったので、2回読むことで辛いながらも飲み込むことができました。

 一方のタケルですが……彼自身もアカリに負けず劣らず "しんどい" というか、とりあえずまさかクロエを庇ってまた死にかけるとは思ってなかったです。天空寺タケルという少年は最初から最後まで一貫して自分よりも他人のことを大事にする人間として描かれています。ですがそれは『オーズ』の台詞を借りれば "都合のいい神様" なんじゃないか?ということでもあるのではという思いもあり、今度こそ自分の命を大切にしてほしいと願っていたのですが……。とはいえ、こうも一貫しているとそれがタケルの良いところであり悪いところなんだと受け取らざるを得ないんだろうな、と。思うところはありますが、 そんなタケルがいたからこそカノンちゃんやクロエが今も生きているわけですし、彼を思って回復を祈る仲間たちの様子に心打たれてしまったのもまた事実ですしね。

 と、若干ネガティヴに見えなくもない感想から入ってしまいましたが、 あくまで話の展開がつらいものだったというだけで、後日談小説としては十分に満足のいく出来映えであったと思います。なんといってもうれしいのはキャラクターたちの「その後」の描写。 

 『スペクター』では浪人生だったタケル殿ですが、小説では無事大学生に。幼さが消え、いちだんと大人びた雰囲気をまとっているという記述は『平成ジェネレーションズFINAL』客演時の髪を黒く染めたタケル(西銘駿さん)のビジュアルともリンクしているように感じられ、そんなところもなんだか嬉しくなります。それでいて、アカリや御成とのやりとりから感じられるどこかとぼけたようなキャラクターはそのままだったのも良かった点。タケルに限った話ではないですが会話シーンは本編さながらの楽しさで、テンポよく読み進められると同時になんだか懐かしい気分にもなりました。 


 大学卒業後も研究室に残り、眼魔世界の科学に関する研究を続けているというアカリ。先に述べた通り、本作はアカリにとっては辛い、切ない物語でもありました。複雑な思いもありますが、幼馴染のために眼魔との闘いに身を投じられるやさしさと強さを持った彼女であれば、きっと幸せ(もちろん、恋愛的な価値観に限った話ではなく)をつかめると信じています。


 ジャベルとの意地の張り合い(非常に御成らしい、微笑ましいこの経緯も小説にて明かされました。)の結果、寺を出て探偵事務所を営んでいた御成も小説では再び大天空寺に。TVシリーズ等では良くも悪くも強烈な演出が多かったようにも感じましたが、全体的にシリアスな今回の物語において御成の存在はまさしく癒しでした。重体のタケルを囲む重い雰囲気の中で意識が戻ることを信じて明るく振る舞う姿、そしてクロエに対し複雑な気持ちを抱えるアカリを気遣う姿には立派な僧侶らしい徳が感じられ、本作でさらに株が上がったキャラの1人だと思います。第二章では大天空寺に弟子入りする前の御成も少しではありますが描かれていますし、御成ファンにとっては本当に必見の1冊となっていることでしょう。


 ダントンとの決戦後、どこかへと一人姿を消していたマコト兄ちゃんは、シンスペクターへの変身によって覚醒した「完璧な人間」としてのスペックを活かして眼魔世界で困っている人々を助ける旅をしていました。医者である(これは今回明かされた設定だったかもですが)大悟や科学者であるダントンの力を人々のために使うその生き様は、まさしくゴーストの「想いを未来に繋げる」というテーマを体現しているように思います。TV終盤の展開では自分同士の戦いが分かりづらいと言われてしまったり、戦力としても最後はアイザージャイアントにあっけなくやられて退場したりと割り切れない面もあったマコトですが、Vシネマと小説を経たことで視聴者(読者)からの印象的にも凛々しくたくましい兄貴分に成長したのではないでしょうか。


 アラン様は眼魔世界の新たな統治者として忙しくしている様子。今回の導入であるフミ婆の三回忌では "カノンを送り届けたのち所用のため眼魔世界へ戻らねばならず、式には出られない" という描写がありましたが、これは逆に言うとそれだけ眼魔世界のために尽力しているのだと感じられ、さりげないながらも良い描写だったように思います。そして何より大きいのはVシネマでの「カノンを幸せにする」発言とアラン英雄伝4章のラストシーンの間を埋めるカノンへのプロポーズ。打ち明けるタイミングはやや驚きましたが、タケルがあのまま目覚めない可能性も考慮していたのかも……と考えると納得。本番の式はさらに盛大に、たくさんの愛が詰まったものになることでしょう。アデルの遺した「新しい家族を作れ」という言葉を叶えた形でもあり、これもまた想いが未来につながったということなのかもしれません。 


 おっちゃんこと仙人(イーディス)は第一章・第二章での眼魔世界のため彼なりに奮闘する様子が印象的でしたが、第三章にもちゃんと登場。Vシネマでは出番なしでしたので、今回の登場は嬉しかったです。基本は善意の行動ながらもあらゆる問題の元凶となってしまっていた上、はたから見るとそれを悪びれていないような態度をとるために槍玉にあげられることも多いおっちゃん殿ですが、今回に限って言えば登場時のその軽いテンションは御成同様に癒しでしたし、クロエを諭す姿には年長者らしい威厳も感じられました


 そしてクロエ。彼女はVシネマの一件で父であり存在意義であったダントンを失い、その時に言われた「自分のために生きるべきだ」というタケルの言葉の真意を求めて彷徨っていました。Vシネマは爽やかに幕を閉じましたが、考えてみればたった一言でクロエを救えるのであれば苦労はないですよね。ダントンによる改造のほころびで体の状態も悪くなっていくなかでタケルを探し、地球で暴れまわることで人間の悪意にも触れるくだりは『ゴースト』らしからぬ暗さで、読んでいてつらい部分でもありました。しかし彼女はアカリたちが語るタケルへの想いや彼自身の生き様を知ることで人間の愛を、そしてみんなと生きる未来の素晴らしさを知りました。これらはまさに『ゴースト』のテーマですので、そういった意味では集大成たる小説で描くにふさわしいキャラクターだったのではないでしょうか。タケルにとっては「愛」の相手であると同時に、その命によって "生まれなおした" 存在……「自身が繋いだ未来」でもあるとして、母から受け取った「 生まれてきてくれて、ありがとう」という台詞に再び着地させる展開も上手かったなあと思います。 


 もちろん、メインキャラ以外にも登場人物は多数。ジャベルアリア様の出番だけキャラの重要さに比べ不自然に少なかった(アリア様に関しては無かった)かな、というのが残念ではありますが……
 フミ婆のお孫さんであるハルミちゃんは画家としての道を歩み始めた模様。シブヤナリタは御成が大天空寺に戻ったことでまた一緒に。皆で寺で修行をしつつ、小野寺さんも交えて不可思議現象研究所も続けている様子です。ちなみにナリタは今回「木更津ナリタ」とフルネームが明らかに。この名前、オールナイトイベントに行かれた方はニヤリとしたのではないでしょうか(そう大した話ではないものの全体的にオフレコと言われたので念のため詳細は伏せます。ところで、ナリタを演じられた勧修寺さんは氣志團のファンだそうですね。いえ関係ない話ですが。)。タケルの見舞いに来たらしいイゴールには驚きましたが、落ち込むアカリ様を見ていつものように憎たらしい(笑)話し方で彼なりの見舞いをしたのだろうなと思います。本作の語り部であったグレートアイ……もとい、ガヌマもただの全知全能な存在というだけでなく、タケルのことを気にかけ、ともすれば贔屓ともとれるような扱いをするなど、本編以上にどこか人間味を感じられるキャラクターとなっていました。


 そしてエピローグではタケルとクロエの息子であるアユムの未来がわずかながらも描かれました。これまで描かれてきた『ゴースト』全作品を時系列順に並べたときに最後になるのはファイナルステージでの仮面ライダーゴースト(アユム)VSグレートデミアだったので、明言されないながらもタケルはこのころには少年であるアユムを残して命を落としているのだな……と悲しい気持ちになっていたのですが、今回描かれたのはさらにその少し先の未来。グレートデミアに敗れたタケルは、その存在の特殊さ故にデミアに取り込まれて生きていたことが判明しました。ややご都合主義的に思わなくもないですし、タケルがあまり特殊な存在になるのもつらいところではあるのですが、これについては本編最終回からずっと漂っていた不穏な死亡フラグをへし折ってくれたのだと前向きに受け取りたいですね。



 というわけで、切ない読後感ながらも確かな希望が存在していた小説ゴースト。今回再び取り上げられた本編の台詞に、「人間は何度でも立ち上がり、運命を切り開く」というものがあります。この台詞は第49話でタケルが発したものですが、初見時は何とも思っていなかったのに小説に合わせてTVシリーズを一気に見た時にはその気迫に感動してしまい(しまい?)、大好きな台詞になりました。小説より先の未来のことが描かれる機会はもうないかもしれません。ですが、この台詞に表されるような強さを持ったタケル達であれば、きっと幸せな未来を生きてくれるだろうと信じています。


【おまけ】
 『仮面ライダーゴースト』放送終了から2年。平成ライダーシリーズが『エグゼイド』『ビルド』とバトンタッチしていくなかで、Vシネマ・小説版と展開してきた『ゴースト』もいよいよひと段落となりました。ということで、少しばかり作品全体に対する個人的な感想を。気に入ったきっかけはただの判官贔屓だったかもしれませんし、今でも「もっと上手くやれただろう」と思うところは多々あります。ですが紆余曲折ありながらも最終的にシリーズで一番好きな作品となり、初めてBlu-ray(ドライブとジュウオウジャーのコラボ回まだ買ってないけど)揃え、初めて超全集等の書籍にも目を通した作品ですので区切りがつくのはやはり感慨深いですね。もっとも、集大成たる小説版は本編の補完をしつつ後日談としても(辛いながらも)面白い出来に仕上がっていましたし、これに合わせて本編を一気見したときに「不満点がいくらあろうがそれを上回る魅力がある」ことを再確認できたので思い残すところはありません。これからも青い空を見るときやごはんを食べるときにはゴーストのことを思い出し、命あることの喜びを少しずつ感じて生きていきたいと思います。Twitter等では何かと出来に関して文句を言ってしまったり揶揄したりすることもあるかもしれませんが、スタンス的には「仮面ライダーゴーストが大好き」という気持ちは忘れないでいることだけわかっていただければと思います。

 ともあれスタッフ・キャストの皆さま、素敵な作品をありがとうございました。