しちさん21 (hatena)

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【映画感想】Vシネクスト『仮面ライダーセイバー 深罪の三重奏』



 

監督:上堀内佳寿也
脚本:福田卓郎

 仮面ライダーシリーズでは既に恒例となった本編終了後のVシネマ枠ですが、本作はこれまでのサブライダースピンオフとは趣向を変えた作品に。作風としても、本編や劇場版とは異なる枠だからこそのチャレンジが盛り込まれた新鮮なものに仕上がっていました。
 こちらのブログでは完成披露を見てのネタバレ無し感想も書きましたが、無事公開となった今、改めての感想も書いていこうと思います。





# 「上堀内節」の効いた演出、こだわりのロケ地

 完成披露後の感想でも書きましたが、やはり本作の印象として真っ先に上がるのは仮面ライダーっぽくない」一般邦画的な雰囲気づくりだと思います。映画に詳しいわけではないのでイメージですが、エンターテインメント寄りの大作とかではなく、ミニシアターにかかるようなインディーズ映画っぽい空気感ですね。劇伴が少なめな一方で環境音が際立っていたり、急襲のシーンにかかるSEが本当に観客を驚かせるような使い方をされていたりと音への拘りが強いのも「映画」という感じがしますし、そういう意味では劇場で見るのに向いている作品だとも思いました。上堀内監督といえば、東映特撮監督陣の中でも「間」を使った演出や俯瞰のカメラワークなどかなりわかりやすい特徴のある監督。本作についても、まさにその"上堀内節"の延長線上にあるなという印象です。普段の劇場版やTVシリーズではそうした演出が重たく感じてしまうときもあるのですが、本作では素直に受け止めることができたのはやはり「Vシネクスト」という枠の特殊性からなのかなと思いますね。作り手側としてもこの枠だからこそのチャレンジをしたと述べられていますし、そこは上手く嚙み合ったところだなと感じます。
 上記のような「仮面ライダーっぽくなさ」もさることながら、今回はかなり現代劇に寄っているため、(特に序盤は)映像としては「セイバーっぽくない」のもポイントだと思います。そうした面で一役買っているのがロケ地の選定ですね。倫太郎・大秦寺さんが篠崎ファルシオンと対峙する際の大森坂近辺を除き、本作メインキャストのシーンでは「いつもの場所だ」と感じるロケ地が一切なかったのがとても印象に残りました。個人的には普段の劇場版でもあまり見慣れたロケ地が出てくるのはちょっとな……と思ってしまうので、このこだわりは嬉しかったですね。特に、冒頭のかみやま新店舗まわりでの飛羽真や間宮たちのシーンの街並みがすごく好きでした。パンフのインタビューによると鎌倉らしいですね。路地の雰囲気など、とても良かったと思います。

# 3人のファルシオン、3人のストーリー

 公開後の感想ということでネタバレ全開で、シナリオ面についても。深罪の"三重奏"というタイトルの通りメイン3ライダーが主軸となる今回のVシネマですが、キーアイテムとなるアメイジングセイレーンWRBの力によって互いの記憶を奪われた3人のストーリーは劇中(ほぼ)交わることがなく、それぞれがそれぞれに因縁のある相手と対峙する形で並行して進んでいくのが特徴的でした。ザックリ言ってしまえば、1作の中に3本のストーリーがあるわけですね。それを可能にしているのが「3人のファルシオン」というギミック。公開前の情報では橋本さとしさん演じる篠崎が変身すると発表されていた"仮面ライダーファルシオン アメイジングセイレーン"ですが、蓋を開けてみれば木村了さん演じる間宮も飛鳥凛さん演じる結菜も、ゲスト全員がファルシオンに変身する「敵ライダー」であるという展開でした。これによって、3つのストーリーを同じテーマで1つの作品に自然とまとめられていたように思います。理想を言えば1人1人を主人公にして長編作品が複数作られるのが一番いいのかもしれませんが、おそらく「Vシネ1本で3人をフィーチャーする」というのは企画の前提だったのでしょうし、それを無理なく実現している点はとても良かったですね。こうしたミスリード自体がちょっとしたミステリ的な要素として作品の魅力にもなっていましたし、1つのスーツで3人分のボスを作れるのも上手いと感じました(後者は別に視聴者が気にすることではないですが笑)。そんなファルシオンに変身する3人の新キャラクターも「倒すべき敵」ではなく、みんなどこか人間臭いところがある人たちだったのも『ゴースト』時代から続くこの制作チームの大きな魅力。今回はヒューマンドラマの比率が高いことも手伝って、かなり魅力的なキャラクターになっていたと思います。
 3人のストーリーが独立しているため初見後の印象だと1人1人に割く尺が少なくなってしまったようにも感じたのですが、二度三度と見ると不思議と良いバランスになっているようにも思うんですよね。作品自体も複数回見たくなるつくりなので、そういう意味でもちょうど良かったのかもしれません。

 というわけで、ここからはそんな3本のストーリーひとつひとつについての感想を述べていこうと思います。

・正義と決意の物語、倫太郎パート

 まずは倫太郎ですが、第一印象を率直に言うと『スペクター』との被りが気になったのはありますね。敢えて雑にまとめてしまえば「青い2号ライダーが父を名乗る男と出会い、剣(拳)を交えることで想いをぶつけ合う話」であると考えると……ね。もともとスタッフが共通しているVシネマとあってスペクターが頭の片隅にはあったので、そこはもう少し違う感じにしてくれると嬉しかったかなとは思いました。とはいえ、本編でも「家族」がキーワードの一つであった倫太郎が新たに向き合う壁として「父」が来るのは自然な気もしますし、篠崎真二郎のビジュアル・お芝居の両方から倫太郎の父であるということに説得力が感じられたのはとても良かったところ。オーディオコメンタリーでも触れられていましたが、最初に変身を解除した後の「嘘だ!」「嘘ではない!」のやり取りなんかはまさにそれですね。変な生真面目さに親子らしい近さを感じました。
 そして、「正義の裏にある犠牲」というテーマについて一番しっくりくる形で描いているのも倫太郎パートだったのかなと思います。というのも、やっぱり自分の中では倫太郎が一番「正義の味方」なんですよね。もちろん本編では飛羽真たちも世界を守るために剣を振るっていましたが、ソードオブロゴスという「組織」を誰よりも背負っていたのが倫太郎だったので。そういう意味では、彼が最も救えなかった命と向き合う責任があるのかなと思いますし、だからこそ「そんな人たちの想いも背負って生きていく」という言葉に込められた決意や説得力もいっそう強く感じられました。

・愛と復讐の物語、賢人パート

 続いて、賢人関連について。彼もまた「正義の裏にある犠牲」と向き合う話ではありましたが、倫太郎が組織として・剣士としてそのテーマに向き合っていたのに対し、賢人は個人的なスケールでこのテーマに向き合う話だったように思います。賢人の婚約者である立花結菜は実は剣士たちの戦いに巻き込まれてかつての恋人を亡くしており、その復讐のために賢人に近づいていたのだが……というのが大まかなあらすじでした。
 実は、個人的には今回の作品テーマ自体にはそこまでピンと来ているわけではないんですよね。というより、「剣士たちの戦いに巻き込まれて命を落とした人たち」というのがどうしてもイメージしにくいというか……もちろん見えてないところで一般人の被害者は出ているよねというのも、TVシリーズでは描きにくいからこそVシネクストという枠で主軸に据えるのも頭ではわかるんですが、やっぱりTVシリーズとのリアリティのギャップが初見では埋めきれなかったかなと思います。平たく言ってしまえば、「そこを気にする作品じゃないじゃん」という。そんな気持ちも手伝って、結菜の動機もどこか八つ当たり的に感じてしまうところがありました。ただ、改めて気持ちを整理した上で2回目を見たときに思ったのですが、結菜の立場に立ったら、たとえ八つ当たりだったとしても剣士を恨んでしまうんだろうな……というのはわかりますね。それこそ世界が救われていようが、自分の恋人は失われてしまったのだから、自分個人は救われていない。であればその憎しみを、自分を救ってくれなかった人にぶつけてしまうのは自然な流れだと思います。戦いにまつわる力そのものを全て消そうとしていた篠崎や全ての仕掛け人である間宮と違い、動機や行動が最も個人的な復讐に近い結菜は被害者側、一般人側の気持ちをストレートに伝えられるキャラだったんじゃないでしょうか。
 ところで賢人といえばエスパーダ新フォーム・アラビアーナナイトへの変身も本作の見どころの一つですが、仮面ライダーのアクションに重きを置いているわけではないので、それこそ『スペクター』の時に比べるとカタルシスは流石に薄かったかなと。もちろん、エスパーダに強化フォームが出来たこと自体は喜ばしいですし、造形的にもリペイントをあまり意識させないつくりが上手くて結構好きなんですけどね。本作はヒューマンドラマに振り切ったからこその魅力があるわけですが、その分ヒーロー作品のカタルシスが薄れているのもまた事実だとは思います。現時点でも「時にはこういう作品も良いよね」という印象ではありますが、本作のチャレンジを受けてさらに一歩進化した「ヒューマンドラマの魅力とヒーローのカタルシスが両立した作品」が登場する未来にも期待したいところです。

・不思議な想い出の物語、飛羽真パート

 最後は飛羽真と間宮、陸関連です。やはりここがこの作品のメインになるところですし、個人的にも最も好きなパートでした。「トラウマを抱えた少年が壁を乗り越える話」として、一本の映画として描くのにぴったりフィットしていたのがとても良かったですね。間宮と陸の不思議な関係性はとても複雑で、ラストシーンは理屈をすぐに整理するのは難しかった(今でも完全に説明するのは難しい)ですが、それでも確かに何かが救われたんだな、と暖かい気持ちを感じられる映像になっていたと思います。割とセカイ系というか、ある種のリセットオチの側面がある本作ですが、そんな中で間宮陸の中に確かに存在している「想い出」が作品を締めくくるのが心憎いですね
 また、飛羽真パートに限った話ではないのですが、このくだりでは特にキャストの力も強く感じました。間宮役・木村了さんのナチュラルでフランクなお芝居がとても良かったのは完成披露の感想記事でも軽く触れた通りですし、ゲストで言うと陸を演じられた子役の嶺岸煌桜さんもとても良いお芝居をされていました。声を出したいのに出せない、でも出さないといけないんだという葛藤がビシビシ伝わってくる名演だったと思います。そして、何と言っても『仮面ライダーセイバー』の座長、主演の内藤秀一郎さん。本編から8年後、33歳の飛羽真ということで難しかったと思いますが、陸の「お父さん」として、優しい笑顔で彼(ら)を見守る表情がとても素敵でした。これはTVシリーズの頃、特に1話と劇場短編からなんですけど、僕は飛羽真が子供たちに向ける笑顔が優しくて大好きなんです。なので、一区切りとなるこの作品でも飛羽真のそういう魅力が見られたのはすごく嬉しかったですね。それと、この作品の中だけでも「33歳の飛羽真」と「25歳の飛羽真」がきっちり演じ分けられているのも良かったところ。「陸を引き取ったばかりの飛羽真」のシーンがしっかりとTVシリーズの「25歳の飛羽真」に直結していたおかげで、Vシネマの「33歳の飛羽真」がTVの飛羽真とちゃんとつながるんですよね。もっと言えば、(25歳から33歳の)合間の期間についても想像を掻き立てられますから、本編で描写されている以上の情報量を持たせる素晴らしいシーン、お芝居だったと思います。内藤さん自身も念願の単独映画であること・卒業作品のつもりであることからかなり気合を入れて臨んだと仰られていましたが、とても良いものを見せてもらいました。

# ちょっとだけ考察~「間宮陸」とは何者なのか?

 アメイジングセイレーンWRBの「相手の人生を改竄する」という能力が多用され、キャストが口を揃えて「難解」と語るほどになった本作のシナリオ。その中でも、ラストの一連の流れについては明確に観客に答えが委ねられています。というわけでここからは少し脳を考察方面に切り替えて、自分の(現時点での)考えを整理してみます。
 まずは事件解決の流れですが、これもまたアメイジングセイレーンWRBの力であるのは間違いないと思います。間宮と陸が自分の人生を改竄し、「無銘剣虚無を掴んだ」という"記述"をなかったことにしたのでしょう。これによってアメイジングセイレーンが生まれないことになる……と言うとパラドックスが発生する気もしますが(笑)、いずれにせよ全ての起点である箇所を書き換えることで、その後の書き換え騒動が全てリセットされたという風に解釈しています。
 一方で、消えた剣士たちが戻った後の世界では「間宮陸」が小説の持ち込みをしています。この間宮陸がどういう存在なのかの解釈は未だ固まりきっていないのですが、少なくとも飛羽真がアメイジングセイレーンの力を使って間宮陸の人生に何かしらの記述を書き加えたのは確実なのではないかと。これは、ラストのシーンで飛羽真の下にアメイジングセイレーンWRBがあることが示唆している通りですね。では何を書き加えたのか?というと、「間宮陸は神山飛羽真たちと幼馴染である」という記述なんでしょうね。ここでヒントになるのがエンドロールなのですが、今回「幼い飛羽真」「幼い倫太郎」「幼い芽依」「幼い賢人」がそれぞれクレジットされています。これだけ子役が集結しているシーンはラストだけですから、あそこで陸とかくれんぼをしているのは飛羽真たち4人ということなのだと思います(実は、倫太郎と芽依ちゃんも幼馴染組に含めた理由はまだしっくりくるものが見当たらないのですが……)。
 分からないのは、それが「間宮陸個人の記憶レベル」の改変なのか、「世界の事実レベル」の改変なのか、ということ。前者、すなわち陸に対して「幼馴染の友達がいた」という「記憶」のみを与えていた場合は間宮陸のベースはあくまで「陸」であり、飛羽真とは親子ほどの年の差があることになりますね。一方、後者の場合。間宮たちが関係者全員の記憶を消したことで剣士の存在そのものが消えたように、飛羽真が関係者全員の人生を書き換えたのであれば「間宮陸」という存在は「飛羽真たちと同世代の幼馴染」に生まれ変わっていてもおかしくないと思います。つまり、ベースが「間宮」になるということですね。
 虚無を掴む前は「陸」が主であり、あくまでも「間宮」はそこから分離した従の存在だと考えれば、陸がベースになる前者の説の方が自然な気がします。ただ、この場合に気になるのは時系列まわりですね。まず、陸が小説の持ち込みをするほどに成長した時間軸(ラストの丘のシーン)で飛羽真や芽依ちゃんの見た目があまり変わっていないように見えること。深罪の舞台である8年後からさらに十数年?経過しているとすれば40代後半くらいだと思うんですが、流石に若々しすぎないか……というのが引っかかるところです(笑)。まあこちらは多少無理にでも言い張れば問題なさそうですが、もう一つ気になるのはEDである「Bittersweet」のMVなんですよね。これは間宮と飛羽真たち4人が久しぶりに再会するような作りになっていて、まさに5人は同世代の旧友、といった印象を受けます。あくまでエンドロールではあるのですが、監督もかなり重要なピースであると仰っているあたり、本編後の5人の関係を示唆している可能性もあるんじゃないかと……そう考えると、後者の説の方がしっくりくるような気もするんですよね。このあたりでずっとウンウン唸っています(笑)。
 ただ、理屈どうこうよりも大事なのは間宮陸にとって飛羽真との想い出が前を向くための力になっているということ。それは「陸」にとっては自分を引き取ってくれた父との想い出であるわけですし、「間宮」にとっては幼馴染との友情であるわけです。経緯はどうあれ、今の間宮陸にはその両方が確かに存在しているのでしょう。陸が前を向けるような何かを与えたいと願っていた飛羽真が、しっかりと父の役割を果たせたんだよ、というのが何より素敵なことだと思いますね。それを踏まえると、間宮陸が持ち込んだ小説の「想いて、日々」というタイトルにもなんだか胸を打たれてしまいました。

# 8年後の剣士たち

 ここまでTVシリーズとは打って変わったVシネマならではの魅力の数々について長く語ってきましたが、本作には味方側レギュラーキャストが勢ぞろいしていることも忘れてはいけません。出番こそ少ないながらも、全員の「8年後」の姿が見られたのはとても嬉しかったですね。特に魅力が溢れていたのは、神代兄妹。まずは神代兄妹ですが、玲花はショートカットでより凛々しさが増し、お兄様は髭を蓄えてよりダンディになっていたように思います。玲花が先導し、お兄様は妹の成長を喜ぶような穏やかな笑みを浮かべるというシーンも短い中に「8年」が詰まっていて大好きですね。蓮もビジュアルからして変化が大きかったうちの一人で、文字通りの武者らしく精悍な顔つきになっていました。登場時を思い返すと、本当に大きく変わったなあ……と感慨深くなりますね。蓮もそうですし、演じる富樫くんもすごく良い表情をするようになったなと思います。
 もちろん、他のメンツの8年後も。すっかり教員スタイルが似合うようになった尾上さん、相変わらずとぼけたやり取りをしているユーリ・大秦寺さん・ソフィア様トリオは、本作においては「平和な日常への回帰」を強く感じさせてくれるポジションだったなと思います。音楽も相まって、エピローグを素敵に彩っていましたね。8年後とあって流石に登場させづらいそらくんについても、「カメラの外にいるそら(というかそら視点のカメラ)を見た尾上さんのリアクションから現在の姿を視聴者に想像させる」という形で登場させているのがニクい演出でした。メイキングには「生島さんのリアクション次第ですよ」なんて言われている様子もありましたが、1年演じてきたキャストに任せる采配も粋なやり方だと思います。

 そして、これだけ魅力的な「8年後の剣士たち」を見せられてしまうと、もっと見たいなという気持ちも湧いてきてしまうのがファンの性。関係者の口ぶりを見ても実際作品を見ても『深罪』の後にもう1本Vシネをやるとかは難しいかな?という気もするのですが……でも、別にファンが遠慮する必要ないですもんね。言うだけタダってわけじゃないですけど、(例えば)神代兄妹が新たな敵と戦うような、「いつもの感じ」のスピンオフVシネも期待してます!

# 総括

 繰り返すように、TVシリーズとは一味違ったチャレンジ精神に溢れていた本作。仮面ライダーらしくないとも言えますが、「らしさ」を嫌って常に新しいことに取り組む精神は間違いなく平成ライダーを成長させてきたスピリッツでもあります。そういう意味でも、過去シリーズの流れを汲まないVシネマが製作されたのは大きいと思いますね。一方で、ふと思ったのは本当に仮面ライダー東映特撮)じゃない上堀内監督作品も見てみたいな、ということ。既にプライム帯の刑事ドラマなどにも多数参加していることは知識として知ってはいるのですが、こうも明確に「映画」というものに拘った作品を見ると、IP抜きのオリジナルで映画を撮ったらどんな作品が飛び出すのかにも興味が湧いてきます。そんな期待も頭の片隅に置いておきたくなるくらい、監督のカラーが強く出た作品でしたね。
 また、製作側からも「複数回見て欲しい」「感想を聞かせて欲しい」といった声を聞くだけあり、繰り返し見ても発見があるように練りこまれた作品だとも思います。初見時に違和感を持った部分も、何度か見ていくとなるほどこういう理屈・意図があるのかと考えることができ、納得度が上がっていく。それ自体はある意味当然の流れではあるのですが、もしかしたらそこまで視聴者を虜にできるという自信のもとに作っているのかなとも思ったり。実際、ブログ感想を書くにあたって何度も見ていったことでますます好きになっていくような感覚がありました(そして沼の底はまだ見えません)。

 巡り合わせが悪く、単独での長編劇場版がなかなか作られなかったセイバー。本作もいわゆる「夏映画」になり得るものではありませんが、密度と熱意ではそれに勝るとも劣らない魅力を持った作品だと思います。今後のセイバーの展開にも期待しつつ……まずはここまで、素敵な物語をありがとうございました⚔📚